山南町無形文化財

青田の神楽(あおだのかぐら)

 

氷上郡山南町青田地区に伝承されている「神楽」は、獅子頭を使ういわゆる伊勢大神楽系の獅子舞で、大歳神社の秋祭り(平成12年からは「体育の日」の前日が本宮)に奉納される伝統芸能である。

 大歳神社のある青田地区は山南町の東の地区、旧上久下村にあり、加古川の支流篠山川の南岸の河岸段丘上に位置する。また、小学校や川の対岸にはJR下滝駅があり、上久下地区の中心に位置する地区である。
青田の神楽は、かつては青年団が、戦前には若連中がその担い手で、15〜6歳から結婚までの独身の青年たちであった。昭和30年代に舞手が減少して、青年団だけでは維持できなくなってきたため、昭和44年9月に保存会を結成し、地域全体で神楽の伝承につとめている。
 青田・篠場両地区の氏神である大歳神社の秋祭りが奉納の本番で、宵宮の際にも神楽を舞う。青田では神楽を舞うことを「神楽を回す」という
一、神楽の演目と内容
 神楽の囃子には太鼓・締め太鼓・横笛を使用する。舞うのは獅子のみの演目と、獅子と天狗がともに舞う演目があり、なかでも子供が台役の大人の肩の上に乗っていくつもの所作を行う「背継ぎ」という演目が青田の神楽の特色となつている。獅子頭には必ず獅子の胴体にあたる布を持つ「エタン(油単)モチ」一人が付き従う。宵宮・本祭とも同じ演目を舞う
 神楽に使用する道具類を入れる「ニ(荷)」は、長持ちを改良したもので、上部に小さい社をのせ、天狗の面や御幣・鈴・ササラなどの諸道具を入れることができ、横棒を差して担げるようになっている。竃祓いの際に、かつてはこの荷を担いでまわっていたが、各家で花代として受け取る米を荷の中に入れていたのでかなり重たくなつたという。
宵宮では、祭典が済むと境内にたてられた燈寵が引き抜かれ、舞庭の用意がされる。荷は、拝殿の傍らに置かれ準備が進められる。
 本祭では、拝殿で御当渡しの儀式が行われ、続く氏子総会・直会が済むころ、宵宮と同じように舞庭の用意が行われて神楽の奉納となる。
(一)荒神祓い(こうじんばらい)
 獅子と天狗が並んで、大歳神社本殿・八幡神社・厄神さん・山の神・金比羅・常夜燈・地神(白鹿神社)の順に荒神祓いにまわる。
 獅子は、獅子頭を頭に被り、御幣を左手、鈴を右手に持つ。エタンは肩のところへ巻き上げ、後ろをエタンモチが持つ。鈴は顔の高さに上げ、御幣を胸の高さでゆっくり左右に振る。
天狗は手にスリササラを持つ。
 順に回しおわると、舞庭の中央で正面を向いて荒神祓いの所作を1回する。
(二)四方舞(しほのまい)
 荒神祓いと同じく、天狗はササラを手に獅子の右手に添うように立つ。獅子頭は手に持ち、ユタンは降ろし、エタンモチが後ろから風が入るように時々煽るようにする。
 この神楽は、その名の如く四方を意識して神楽が構成されていて、四拍を4回線り返すリズムが基本となっている。
 まず、獅子と天狗が向き合って、天狗が社殿を背にするように片ひざをつき、獅子も低く構える。天狗が獅子の鼻先でササラを回すようにした後、立ち上がり、獅子の横に付く。獅子は頭を高く捧げて、天狗も上を向いてササラを擦りつつ、右足を前へ踏みだし、そのまま4拍足踏みをし、次ぎに左足を前方に踏み出して4拍足踏みをするという反閉(へんばい)の所作を繰り返しつつすこしづつ前進し、左回りに舞庭を一周まわる。
 正面に戻ると、高く捧げた獅子頭を小さく左右に振りつつ、大きく右回りの円を書きながら、競り上げていく。上まで来ると、獅子頭を高く4捧げたまま3歩前進し、4歩目で姿勢を整え、頭を下へおろし、左右にふりながら3歩分後退し、4歩目でそろえる。
 次に4拍ずつの反閉で少し前に進んで、左を向いて同じ所作を繰り返す。
再び前に進んで左を向き同じ所作をする。この時社殿を背にする向きになる。
更に前に進んで左を向いて同じ所作を繰り返す。そして、もう一度進んで正面にもどつてくると、獅子と天狗が離れて向き合い、近寄りながら共に大きく体を左右に振る。そして天狗は舞庭からでて、獅子だけが残り、舞庭を一周して正面に来ると大きくお辞儀をす
るように振りかぶり、終わる。 この最後に舞庭を一周して舞われるこの所作は全ての舞に行われ、一つの舞の締めとするものである。
          所要時間 約13分
三)剣の舞(つるぎのまい)
 獅子が一人で舞う。頭は手に持ち、エタンは降ろす。
 まず、剣の鞘を獅子のロにくわえさせ、低いところから、ゆっくり大きく競り上がっていくのが見せ場で、大きく緩やかに舞う。最後に、太鼓・笛の調子が早くなると、頭を被り、エタンを巻き上げる。右手に剣を持って、顔の高さにかかげて手首を返したり、横に動かして、九字を切るような所作をする。
        所要時間 約20分
(四)地舞(じまい)
 獅子が一人で舞う。姿勢を絶えず低くして、地を這うように獅子頭を動かすのが特徴である。
 始めは頭を被り、両手を左右にユタンを広げるようにして舞庭を一周する。
正面に戻ったところで、頭を手で持ち、背を丸めるように頭を低く構える。
 舞庭を前後に動くのが基本で、途中でタカネ(高寝)とヒクネ(低寝)と呼ぶ所作をする。タカネは、獅子が片ひざをついてうずくまり、頭だけを少し上げる。ヒクネは尻をついて足を投げだす。最後に低く頭を構えた姿勢のまま舞庭を一周して終わる。
 この地舞は、獅子はかなりの体力を使い、舞い手の個性がはっきりと出る演目であり、笛にとっても難曲で、獅子の動きを見ながら呼吸を合わせることに気をつかうという。
         所要時間 約11分
(五)花獅子(はなじし)
 獅子と天狗が笹でつくつたハナを手に共に舞う。
 天狗は獅子の右手についてハナをくるくると回しながら跳ねる。そして、正面にまわり、獅子の鼻先でハナを振り回す。天狗の振り回すハナを追うように、獅子は頭を大きく振る。笛・太鼓のリズムは軽快で、ややゆっくりからすこし追い立てるように早めていき、太鼓が乱打に近くなると天狗のハナの振り回し方が小さくなり、獅子と天狗が競り合うように舞庭の中央ですれ違い、立ち位置を変える。4回ほど競り合うと、中央に進み出、さらに獅子の鼻先でハナを振り回す。最後に獅子にハナをくわえさせて天狗が退場すると、獅子がハナをくわえたままひとしきり舞って終わる。
                  所要時間 約9分
(六)鈴の舞(すずのまい)
 獅子頭を被りエタンを肩に巻き上げ荒神払を行って、舞手は右手に御幣と鈴を持ち、体の正面に立て太鼓が「ハーヨイトコ ヨイトコ」と掛声を掛け三回前へ、下がる時は御幣と鈴は横にして三回戻る。
 正面に戻ると右手に鈴、左手に御幣を持ちかえ、最初は左足を右足の前に出し体の正面で御幣と鈴を初めは大きく振り回し、最後は小さく振る。三回同じ所作を繰り返しっつ正面から左まわりに周り、四方で舞い、元の位置に戻る。
    所要時間 約11分
(七)背継ぎ(せつぎ)
 保存会からの挨拶のあと、舞庭の元を確かめ、塩をまいて清める。
 上に乗る子供は、袖の長い橋祥に似せた着物にズボン状の袴をはき、赤い裡を掛ける。
 まず、子供が舞庭を一周走り、台役の大人が腰を落として構えた背中に前転して足から背に乗り、肩車の姿勢になる。その姿勢のまま舞庭を一周する。子供が獅子頭を被り、エタンは巻き上げたまま、右手をやや上、左手はやや下に広げて一周する。更にエタンを下ろして、もう一周する。
 各所作は、舞庭を左回りに一周する間に行われ、一周して正面に戻ってきたときに技がかわるが、そのきっかけとして太鼓役が次の所作を指示する声を掛ける。エタンを巻いたり、戻したりするときも絶えず回りながら行う。
1.「鶴の豆拾い」と声が掛かると、子供は体を後ろに倒し、獅子頭を手で支える。
台はやや前かがみになり、子供の足首を持って支え、左右へ振るように前へ進む。
2.「おきたり」姿勢を基に戻す。
3.「エタンを巻いたり」子供は頭を被ったままでおろしたエタンを肩のところまで巻き上げ、残った部分を腰に巻き付ける。
4.「立ったり」エタンが巻き上げられると、子供が台の肩に立ち上がり、台は足首を持って支える。子供は両手を広げたり、閉じたりしながら、その姿勢のまま舞庭を一周する。
5.「一本足」立ったままの姿勢から、台が子供の左足先をもち、肩から外し、もう一方の片足で立ったままバランスをとる。十歩程歩いたあとに「一本足はあぶないもんじゃ」
6.「直して」足を戻す。
7.「高山の大仏」ユタンをおろし、子供は獅子頭を手に持ち、自分の頭の上に逆さにのせて大仏の形にする。
8.「直して」再び獅子頭をかぶる。
9.「エタンをからげて」エタンを肩に巻き上げ、後ろの部分はそのまま垂らす。介添え役が帯に見立てた赤い布を渡すと、エタンを着物の裾のように体に巻きつけ、体の前で帯を結ぶ。
10.「おやまの道中」右手に傘をさし、左手は狭の先を持つ。
11.「頭を撫でたり 尻を撫でたり」傘をさしたまま、左手で交互に頭・尻を撫でる所作をする。
12.「尻ふれ尻ふれ」「尻を振らねば、嫁入りできぬ」台が右左へ足を蛇行させながら進み、上の子供が腰をふっているように見せる。
13.「直して」傘を介添え役に渡し、エタンをほどく。
14.「下りたり」肩車に戻る。
15.「鶴の豆拾い」太鼓の調子が早くなる。最初の所作(@)に同じ。


16.「オーツト おきたり」姿勢を肩車に戻す。
17.「松に下り藤」子供が右側に体をずらし、足で台を挟むようにからめ、台は右手で子供の樺を掴み、袈裟懸けの状能だして大きく肩で円をかくように振り回す。
18.「オーツト おきたり」姿勢を肩車に戻す。
19.「しゃちほこ」太鼓の調子がもどる。台は腰を折り、子供が背中に移動し、獅子頭を手で支え、両足をそろえてあげてX字になり前へ進む。20.「開けば大の字」太鼓の調子が早くなる。しやちほこの形のまま、足を左右に開く。
21.「おきたり」姿勢を肩車に戻す。
22.「エタンをからげて」獅子頭をかぶり、エタンを肩に巻き上げる。
23.「達磨大師は座禅の形」台は腰を折り、子供は背にのり、台のクビに近いところで足を組み、座禅の形になる。
24.「頭のひとつもはったりはったり」左右交互に手で獅子頭の頭を撫で、台役の頭を叩くような所作をする。
25.「直して」エタンをおろし、姿勢を肩車に戻す。
26.「乗ったか、山吉良い男」獅子頭を台がもち、子供はエタンを頭にかぶる。介添えもエタンの端に頭を入れ、台は獅子頭をかたかたと言わせながら小さく左右にふり、子供と介添えも共に左右前後に頭を振り、コミカルな動きをする。磯子はリズミカルになる。
27.「直して」肩車に戻る。
28.「下りたり」子供が台からおり、獅子頭を頭にかぶり介添えを従えて舞い庭を一周する。
29.「オーツト ツコウテ ツコウテ」正面で、獅子頭を左右に振って、大人と同じように獅子頭を扱いながら競り上がる。そして低く構えたまま舞い庭を一周して終わる。
         所要時間 約20分

竃祓い(荒神祓い)
 本宮の日には、午前7時30分ごろより約50戸を4時間あまりかけて、竃祓いにまわる。公民館を起点に、西へ向かい、ほぼ青田の中を左回りにまわっていく。現在では午前11時ごろに神社での御当渡しの神事が始まり、保存会のメンバーも出席するため、それまで
に竃祓いが終わるように、新旧2台の獅子頭を使って2組で竃祓いにまわっている。
 青年団のころは神事とは別に竃祓いにまわっていたので、午後3時を越えることもあった。公民館で最後の神楽を回しているころ、神事が終わって帰宅する青年団OBや長老たちが通りかかり、教えてもらうこともあったという。
 竃祓いでは、各戸の台所の竃・神棚、屋敷神(地神)などに向かって鈴と御幣を手に獅子が荒神祓いをし、その後庭にでて、家全体に向かって竃祓いをする。竃祓いがまわってきた家では、ハナ(花代・祝儀)を用意しており、過分にハナをもらったときには、鈴の舞か花獅子の簡略化したものを添える。
 ハナは金一封であるが、かつては米一升か金一封で、米はニナイに入れ天秤で担いで集め回った。各戸では獅子に対してお茶・菓子程度を用意してもてなす。
 竃祓いが済むと、公民館に戻って神楽の仝演目を回す。その後、帳面破りといって集まったハナなどを集計し、慰労会となる。
 青田の神楽の始まりは定かではないが、同じ
山南町の金屋から教えてもらったといい、青田の他に神楽を伝承している金屋・岩屋・井原・玉巻などでも金屋から教えてもらったという伝承を持っているところがある
 明治のころには、現竹安幹夫宅の東の方「ヤシヤジン
」(谷奥に有ったといわれる妙楽寺の仏を納めたお堂)の下の民家に、若連中が集まって神楽の練習をしていたが、火事を出して燃えてしまってからは、公民館ができるまでは若連中の舞手の家で練習をしていた。 
戦前には若連中も人数が多く、どの演目にも複数の舞手がおり、正式な舞手になるのが大変であり、炭焼きの時にも笛や太鼓の練習をしていたという。
 戦争中に若者が戦地に出たことや会社勤めの若者も多く、神楽を回す人数が不足したことから途切れがちになり、結婚して青年団を退いたものが神楽を回すこともあった。昭和37年ごろより数年間は演日の目玉である背継ぎも途切れたことから、地域全体で伝承していこうと保存会を結成し、今日に至っている。
二、類似の芸能・周辺の芸能
 獅子舞の伝承されている青
田のある氷上郡山南町は、丹波国に属し、兵庫県のほぼ中央部に位置する。獅子舞は前述したように、金屋・岩屋・井原・玉巻でも伝承されている。同町に伝承されているその他の芸能としては、谷川の常勝寺の鬼こそがある。
 兵庫県内では獅子舞が数多く伝承されていて、特に「播州は獅子所」と称されるほどの地域もある。実際、平成9年にまとめられた県教育委員会の民俗調査報告12『兵庫県の民俗芸能』の巻末に収録されている県内で確認された芸能の一覧には、廃絶・休止を含め て516件の芸能が掲載されているが、そのうち、獅子舞が188件、播磨だけで96件を占めている。それら獅子舞は、但馬地域特に浜坂を中心に鳥取藩からの影響を受けた麒麟獅子舞が伝承されている以外は、概ね似通った芸態をもつ伊勢大神楽の系譜を引くとされる
 伊勢大神楽は、三重県桑名市に本拠を置き、各地をめぐつて獅子舞や曲芸といった芸能を披露しながら、竃祓いをし、伊勢神宮の神符を配っていた人々のことで、兵庫県内だけでなく近畿・北陸地方では、そうした人々が江戸時代以降各地をまわっていて、その幾つもの組が各組毎に壇那場と呼ぶ特定の地域を分担していた。現在でも山本源太夫を代表とする獅子舞の組が、一年のほとんどを近畿・北陸の各地を門付けしてまわっている。丹波地域も「秋丹波」と言われ、四季のうちでも秋を中心に 伊勢大神楽の組がまわっているという。ただし、青田では伊勢大神楽がまわってきた記憶はないという。  各地における大神楽系獅子舞の定着については、江戸時代中期以降、大神楽を受け入れる側の柑の若い衆が自身の手で演じるようになつていき、それぞれに工夫を凝らして現在に受け継がれていったとされる。伊勢大神楽で伝承されている演目に、鈴の舞・四方の舞・跳びの舞・扇の舞・楽々の舞・剣の舞など獅子頭を使う「舞」と、手鞠の曲・傘の曲・献燈の曲・魁曲(らんぎょく)などの曲芸の2種に分けられるが、県内で伝承されている漬目に共通するものが多く見受けられる。

 青田の獅子舞も同様に鈴の舞・四方の舞・剣の舞という共通する演目がある。その所作は独自の工夫もあり、完全に一致するものではないが、青田の獅子舞の目玉である背継ぎも、獅子が肩車になつたり肩の上に立ち上がっていくつかの所作をする魁曲に似通ったところを見ることができる。青田の獅子舞は、同じ山南町の金屋から教えられたと伝えているが、そのもとは伊勢の太神楽にあり、演じる例の若者たちがそれぞれに工夫を凝らして、今日に受け継いできたものである。

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